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移住した人に聞いてみた!:地域の人と支えあって生きる。〜前編 暮らし編〜

2023.08.02

中津や耶馬溪でのリアルな暮らしや移住ストーリーをお伝えする「移住した人に聞いてみた!」。今回は耶馬溪で農家を営む若夫婦「吉田家」のお二人です。耶馬溪町下郷地域へ移住して3年目。二人の子どもを育てながら、有機農業を営む生活を送っています。今回は、翔子さんを中心に、2人の移住から3年間の暮らしについてお話を伺ってきました。

手探り状態の1年目。

家の前の畑からの景色。

 

下郷地域にある集落農業法人「樋桶の郷」主催の稲刈りイベントをきっかけに、この地域と出会い、移住されたお二人。移住した当初について、お聞きしました。

翔子「一年目はいろんなことが変わってとにかく大変でした。子育てや仕事、農家は良いけど販路はどうするのか。生きていけるだけの経済力の見通しが立つのか。不安がいっぱいでした。季節は待ってくれないので手探り状態。そんな状況に疲れてしまい、毎日をこなすので必死だったし、体調も崩したりでてんてこまいでした。」

 

2年目。学童施設「文庫さだや」との出会い

移住して2年目。地域の方の紹介で、下郷地域にある学童施設「文庫さだや児童クラブ」で働くことになった翔子さん。「この地域で暮らしていこう、暮らしていける」と思えた大事な出会いだったのだとか。

翔子「いろんな親御さんと話ができたり、スタッフも元々この地域に住んでた方が入っているので、この地域の歴史や文化、病院や小学校のことなど、暮らす上で必要な情報を知ることができました。お互いに相談もできるから不安も少しずつ解消していきましたね。」

 

*学童施設「文庫さだや」とは?

文庫さだや:入って左側の読書スペース。

下郷地域にある学童施設。現在の下郷小学校の全校生徒数は28人。その全生徒が、学校帰りにここへ寄るそうです。16時くらいになると生徒さんは帰宅。スタッフは、現在は3人。内装はL字になっていて、入ってすぐにテーブルがあり、その奥に舞台と落書きボード、入って左側に本や漫画を読めるスペース。市の助成金があるということで、なんと学童利用料は無料。

 

2年目に農作業中に夫が骨折したけれどみんなが助けてくれた。

吉田さんの育てる、「いのちの壱」という品種のお米。粒が大きいのが特徴で、甘みと、水分と、旨味があり、贈呈用で購入される方が多いそうです。

 

 

移住して2年目になんと夫の敦さんがトラクターごと川へ落ちて骨折。川から機械を引き上げるのに、地域の方がすぐ集まって、助けてくれたのだとか。所属している「樋桶の郷」の仕事や農作業も多くの方々が手伝ってくれたそうです。地域の人のありがたさを強く感じた時間だったのだとか。

翔子「畑が大変な時期だったので、いろんな人が助けてくれました。田植えや除草、芋のツルさしやナスの支柱立てなどを手伝っていただきました。」

敦「助けてもらってることばっかりですよね。 この圃場も用意してもらったし、機械とかも貸してもらっているし。そんなのが全くなくて新規就農ができたかというと、わからないですよね。まだできてんのかわかんないけど、生きていけるようになって、やっとできたっていうかもしれない。助けられてばっかりっすね。」

 

地域で助け合うことが大事だと知った3年目。

サルディナスさんで販売されているレモングラスのルームスプレー。

 

 

 

 2022年から、余ってしまったレモングラスの葉っぱをどうにかして活用したいという思いから生まれたのが「ルームスプレー」。同じ市内にあるフレグランスブランド「六月八日」の新商品です。その後、同じ耶馬溪町にあるレストラン「Restaurant Sardinas」ともコラボレーションしたり。たくさんの方との関わりから生まれたレモングラススプレーには特別な想いがあるそうです。

翔子「つながりができたからこそできた商品で。これができたことで農家としてやっていけるかもと算段がつくものができたことが有り難かったです。野菜は繊細なので、天候だったり、虫にやられたりすることがしょっちゅうで、生鮮品としてお届けすることってやはり大変なことで。でもこれなら安定してできるなと。力になってくれる人が多方面にいることがとても有難いことですね。」

また、農作業のお手伝いに来ていただいた時は、優先的にレモングラス畑の作業を手伝ってもらうようにしているそうです。

レモングラス畑。誰がどの部分を刈ったかを嬉しそうに話してくれました。

翔子「地域の製品にしたいという思いが強いです。うちだけじゃなくて、下郷・耶馬溪地域みんなで作ったていうことを伝えたいんです。製品を通して素敵な地域なのだということが届けられるといいなと思っています。

3年の月日を経て、お二人は自分達でできることには限界があって、田んぼや畑も含め、地域の助けがあって成り立つ物事がたくさんあるのだと気がついたそうです。環境の変化・手探り状態の1年目の時から地域行事へ積極的に参加し、地域の方との関係性を紡いでいったと言います。

翔子「1年目と3年目で違うのは、助け合って生きるっていう感覚が今はとても強いということですね。助けを求めたり、お願いができる仲間づくりって大事だなと今は思いますね。」

 

移住する人へのアドバイス、相談できる人の存在が大きい

移住する人が増える世の中で、実際うまく移住できず、また元の生活へ戻る方もいるかと思います。吉田さんは、ルールが違ったり、価値観が合わないということは、田舎だけでなく、どこでも起きると言います。

翔子「何が大事かというと、情報共有できる人、相談できる人の存在がすごく大きい。」と話す翔子さん。まさに、下郷地域は相談に乗ってくれる人が多かったそうです。

こうして、地域の人との関係性を少しずつ紡いできた吉田家。前編では、移住してからの3年間、地域の方と支えあって暮らす様子をご紹介しました。後編では家探しやリフォーム、現在の暮らしについて、深掘りします!

吉田さん移住話 後編はこちらから

移住した人に聞いてみた!:大家さんの想いを引き継ぎながら自分たちらしく。〜後編 家編〜