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移住した人に聞いてみた!:「人間味・温かさ」を大切にできる暮らしを求めて〜前編 移住まで編〜

2023.08.09

中津や耶馬溪でのリアルな暮らしや移住ストーリーをお伝えする「移住した人に聞いてみた!」。今回は、福岡県北九州市門司区生まれ育ち、12年間のカナダ暮らしを経て移住した石河澄江さん(以下、スミエさん)です。帰国後、素敵な耶馬渓移住者はるさんとの出会いがきっかけで、2021年に耶馬溪へ移住しました。スミエさんにとっての耶馬溪暮らしの魅力は「人間味・温かみ」なのだとか。そんなスミエさんの移住秘話をお伺いしました。

 

 

自然と共存する「暮らし」と「人の在り方」に魅了されるまで。

若き反骨心から内緒でお金を貯めて、20歳で自由を求めてカナダに「ゲリラ家出」をしたスミエさん。当初は色々な国で中長期滞在しながら旅と暮らしを楽しむ予定だったけれど、第一居住地のバンクーバーでの暮らしがあまりにも楽しすぎて結局12年暮らしたのだそう。2016年に帰国直後、来日中のカナダの友人に連れられ遊びに行った上五島の知人宅「ひろんた村」でたまたま体験した自給自足暮らしが衝撃的だったとか。

スミエ「カナダのスラム街でホームレスや女性支援の仕事を続ける中で、資本主義ベースの社会構造やライフスタイルに限界と疑問を感じていました。ひろんた村家族の、自給自足で暮らしながら心身共に素朴に満たされている姿は、言葉だけの社会批判よりもずっと説得力と希望とヒントが凝縮されていて、色んな思いで一生懸命現代を生きている人たちを自然と惹きつけ自然と良い波紋が拡がっていて、、。当時の私は帰国直後で、「これから社会環境やカルチャーも仕事の選択肢も全く異なる日本で、どうやって自分の信じていることを活かして暮らしていこう?」と考えていた時期だったので、『暮らし』って『人としての在り方』に直結してるし、その両方を以て自分の大切にし続けたいもの体現する生き方に、新たな挑戦のワクワクと希望を感じました」

ひろんた村の暮らしや人としての在り方に魅了されたスミエさんは、当初ひろんた村に移住したいという思いが強かったそう。ただ、北九州の家族をサポートしやすい距離に住みたい気持ちも強く、ひろんた村への移住は断念したものの、北九州で仕事をしながら、自給自足に纏わるイベントに積極的に参加をし、仲間づくりに励んだそうです。

「ひろんた村」の様子。左上:醤油づくり 右上:麹作り 左下:糸つむぎ 右下:椿油搾り

アゴと日常の風景。

 

 

人との出会いと温かい空間に惹かれて。

 2016年、自給自足イベントで出会った人の紹介で、本耶馬渓にて現在福祉事業所「虹の道/工房たね」を営む福崎はるさんと出会ったスミエさん。一般常識にとらわれずのびのびと想いを実現させていくはるさんに惹かれ、すぐに意気投合したのだとか。その後、何度か耶馬渓でのイベントに足を運ぶうちに、耶馬渓の人の温かさに魅力を感じるようになったそう。

スミエ 「日々仕事や責任に追われていた北九州暮らしでは、ある程度整えた部分だけを見せ合って人同士が関わる場面が多かったのですが、耶馬渓ではキャラクターも個性も全く異なる人たちが、人間味・雑味・温かみも全部ひっくるめて居心地よさそうに共存できていて、そんな空間が私もすごく居心地がよくて。そんな懐の大きさとあったかさにも惹かれました」

移住して2年たった現在も地域のイベントでみんなと過ごせる時間が大好きなスミエさん。毎月地元出展者やアーティストたちと共に開催される「ハナコぺマルシェ」もまさに、人のあたたかさが溢れる大好きな空間の一つだそう。

 

一度諦めかけた耶馬溪移住

スミエさんの住む、耶馬溪町山移地域。

耶馬溪に移住したい気持ちが芽生え、先輩移住者たちの体験談を聞き集め、家をちらほら探し始めたものの、ひとりで田舎暮らしする不安や、仕事へのマイナス影響などが不安で、一度は移住を諦めかけていた時期もあったそうです。

スミエ「私は田舎に住んだ経験がなく、イベント参加だけで田舎暮らしを美化してるのでは、、?実際は想像もつかない苦労や不便さがあるのでは、、?北九州の仕事を辞めたら取返しがつかないのでは、、?などと考えてしまって、気持ちは決まっているのにあと1歩が踏み出せなくて、移住計画を一旦保留にしていた時期もありました」

 

背中を押してくれたのは地域のLINEグループ

移住計画を一旦保留にしていた時期に、耶馬溪地域の情報を掲示板のようにやりとりしているLINEグループに招待してもらったスミエさん。耶馬溪町周辺に住む移住者と地域住民など約70人ほどの方々が参加しているこのLINEグループでは、地域のイベント情報や農作業の人手不足や困りごと、不用品のお譲りなど、さまざまなやり取りが行われていて、日々ここで繰り広げられるほっこりしたやり取りに背中を押されたのだとか。

スミエ 「私が一旦移住を諦めかけていた時期に、例えば『うちのやぎが母乳を飲まないから、誰か哺乳瓶とか持ってないですか?』『よかったらうちの子供の哺乳瓶使ってください。住所○○です』とか、なんかほっこりするようなやりとりを日々北九州で目にする度に「私が移住に求めていたものって、まさにこういう、ゆる~くてあったかい助け合いの輪だな。今トライせずに諦めたら一生後悔するかも、、!」って、失敗する勇気が出たんです。」

こうして移住を再び決意したスミエさん。後編では「実際の家探し」や、「住んでみてわかったこと」を、深掘りします!

スミエさん移住話 後編はこちらから

移住した人に聞いてみた!:住んでみてわかった空き家事情。〜後編 家探しと暮らし編〜